会員紹介・ミッフィー

ミッフィー

こんにちは。私のページへようこそ。これから、私の今までの病気の経過や、今直面している課題などについてお話ししていきます。 文章が長くなるところが多々ありました。でも、私の経験したことがこのページを見ていただいた方々の参考になればと思い、詳細を書 くことにしました。そして、ここの文章を読んでいただけると、どうして私が患者会を作ろうと思ったかをちょっとだけ理解していただ けるかもしれませんね。では、まず自己紹介から。


自己紹介

最初の診断

病  歴

HPSの患者をやって思うこと


<自己紹介>

ハンドルネーム ミッフィー
生年月日 昭和37年11月24日
仕事 大学卒業後、12年ほどOLをやりましたが、今は視覚障害者にパソコンを教えています。
趣味 歌うことが好きです。合唱とかカラオケとか、今2つの合唱団に入っています。


<最初の診断>

 最初にこの病気と診断されたのは、中学3年生の時です。貧血がひどくて入院したときにこの病気だとわかりました。 子供の頃から、あざができやすいとか、血が止まりにくいとかあったのですが、生理が始まってから出血が ひどく、大変でした。入院したときは、なぜか血小板がほとんどなかったそうです。高校時代、大学時代、あと27歳 くらいまでは、一番問題になるのは貧血で、主治医の仕事は貧血のコントロールだけだったように思います。とまあ、 こんな感じだったので自分でもあまりたいした病気だとは感じていませんでした。しかし、それが28歳以降、一変して しまいました。これから書くのは28才からの私の病歴です。


<病  歴>

めまい 子宮内膜症 白血球減少

めまい


現在までの経過

 28才の時、はじめてめまいを感じました。でも、最初は体が傾くというもので、私はめまいって目の前がぐるぐる回る ものだと思っていたので、自分の症状を”めまい”だとはぜんぜん気づきませんでした。最初は、2時間くらい横になって いるとよくなっていたので、病院にもいきませんでしたが、それから不整脈とか尿管結石をやったりとか、体調が悪くなり はじめました。そして、その翌年の冬、結構重症のインフルエンザにかかりました。その後、頭痛とか吐き気とか、もう 体調が悪いの極みでした。当然めまいもひどく、階段をジグザグに上っていたような気がします。今から考えればよく仕事を していたよなと自分でも思います。
 そんな状態が長く続くはずもなく、そのうち足の筋力が落ち、とうとう歩けなくなってしまいました。で、当然入院してい ろいろ検査を受けました。もちろん耳鼻科にも行ったのですが、もともと”眼振”があるからめまいの評価はできませんとい われ、結局原因はわからずじまいで、”ストレスでしょう”ということになってしまいました。このめまいと筋力低下はそ れからずっと私を苦しめる症状になってしまいました。
 自分でも、時々現れるめまいと筋力低下をなんとかしてなおしたいと思っていました。一度めまいが起こってし まうと歩けるようになるまでに3ヶ月くらいかかってしまって社会生活上とても大変だったからです。そのころ、私の友人が ”斜視”をなおしたらめまいもよくなるんじゃない?とアドバイスをしてくれました。私はそのころめまいを何とかしたいの一 心だったので、さっそく眼科に行って斜視の手術をお願いしました。そのときにめまいのことを話したら、眼科の先生が耳 鼻科にもいった方がいいよといわれ、はじめて耳鼻科にかかり始めました。いろいろな検査を受けたのですが、耳鼻科の先生 曰く「どうしてこんなに悪くなったんだろうね」、今更そんなこといわれたって、、、、。で、薬を飲むことになりました、 それは今でも飲んでいる「メリスロン」。これが、ばっちり効きました。なんだか酔っぱらいのように歩いていた私が、ち ゃんとまっすぐに歩いているから、自分でもびっくり。久々に爽快な気分だったことを覚えています。
 そんなこんなで斜視の手術を受けました。が、その後が大変で、もう手術の翌日、眼帯をとったときから”頭くらくら”、 ちょっとでも動こうものなら体がどこにいくかわからないという平衡感覚が完全に欠如した状態。これには手術を担当した眼 科の先生もびっくり、私もびっくり。それからのリハビリ(歩行訓練)が大変で、3ヶ月間病院でがんばりました。で、そし て退院が決まった頃、後で書く卵巣嚢腫が見つかり、その処置をする際に使った麻酔薬が私の体にあわなかったか、また、ほか の原因なのかは不明ですが、また”めまい”がして、前に逆戻り、また1からリハビリをやり直し退院したのは半年後。でも、 眼科の主治医は本当によく私の面倒を見てくれたと感謝しています。
 その後もめまいは起きました。斜視の手術で入院した翌年の秋、めまいがひどく今度は耳鼻科に入院しました。2週間くらい 点滴治療をうけてめまいは少しよくなったのですが、バランスの障害がひどく、2時間以上は外出できないという状態でした。 でも、これでは通院もできないわけで、思案したあげく電動車いすを使うことにしました。結局半年間くらい電動車いすのお世 話になったかな。このときに私のめまいの原因を巡って耳鼻科の主治医と大げんか。「先天性眼振とストレスが原因」と言い張 る主治医に嫌気がさし、転院をしようと思ったわけです。だって、やっぱり弱視に電動車いすの運転は結構たいへんだから、も し治療法があるんだったら試す価値は大いにあると思ったからです。
 転院した先の耳鼻科の先生も前の病院の先生と見立ては同じで、やっぱりメリスロンと精神安定剤という組み合わせでした。 またかとは思ったのですが、更年期障害に対するホルモン補充療法を始めたらバランスの障害があっさり治ってしまい、電動車い すも用なしになったので、まあいいかと思ってそこの病院にかかることにしました。でも、やっぱり時々めまいの発作はやって きました。特に風邪を引いた後と、季節の変わり目の時季で、急に気温が上がったり下がったりしたときは要注意です。それは 今でも変わりません。そりゃあ、「めまい」にメンタルな要因が関わっていることは百も承知、でも、私のめまいはたぶんそれ だけじゃないと自分では思っていたので、「心の方を何とかしろ」とか「めまいがしても我慢しろ」とかいう主治医とは外来に 行くたびに大げんか。私だって「めまい」なんかいらないわけで、「めまい」があるばっかりに”ミッフィーさんは時々休んでしまう から責任ある仕事はちょっとねえ”といわれる始末。私の場合は、「ストレス」のせいでめまいがするというより「めまい」が 私のストレスになっているという感じ。本当にいろいろありました。そのころわたしのめまいをめぐってとても大変な事態が起 きてしまいました。ここでその内容までは書きませんが、それから私は病院に行くのがとても怖くなりました。もう、そこの病 院の玄関まで行くと怖くてどうしても中に入れませんでした。もうこうなると完全な病気。私の専攻は精神保健だったので、自 分の心の状態はよくわかっていました。もうそうなると転院しかないですよね。
 というわけで、「めまい」のせいで2度、いや3度病院を変えたことになります。今でも「めまい」はありますが、もう単な る「ストレス」だからという先生はいません。というか、ちゃんと見てくれる病院を探したという方が当たっているかもしれま せん。だから、最近は「めまい」の原因を巡っては主治医とけんかしたことはありません。

今の状態

 昨年3月あたりから、「めまい」がとても重症になりました。ひどいときは、寝ていても自分の体の位置がわからない、軟体動物に なったような、、、それくらい大変でした。入院して1ヶ月半、毎日朝夕で点滴をやっていても止まりませんでした。最後にステロ イドパルスをやって、ようやく止まりました。それから、また一生懸命リハビリをやって、退院したのは3ヶ月後。やっぱり重症 のインフルエンザの後でした。風邪は怖い、特に私にとって「風邪」はまさに万病の元。
 退院してもまだ「めまい感」は消えませんでした。もう、真ん中を見ているのが一番大変で、中心からかなり右寄りで焦点が あっているという異常な状態。もう仕事していてもつらくって。特にエクセルのワークシートなんかもう大変で、、、そんなことで 仕事にもならず会社はくび。今年に入ってからはもうどっちの目で見ていいかわからないくらい焦点がずれてしまっていて、仕方が ないので眼帯かけて歩いてました。でも、片目じゃ、歩きづらいし。そのころ、近所の総合病院に行っていたのですが、お世話にな っていた耳鼻科と内科の先生が同時に二人病院を辞めてしまいました。これも、また大変で、私たちみたいな変わった病気は、どの 先生でもいいというわけではないので、いろいろ考えた結果、前に通っていた某大学病院に戻ることにしました(やっぱり、前の検 査データとかはあった方がいいと思ったから)
 で、その某大学病院に行ったとき、前の外来担当だった先生がまた診てくれました。私が「最近めまいがひどくて」という話をし たら、{もしかしたら斜視が戻っているからかもしれないよ。再手術やってみる価値はあるんじゃない?」といわれ、さっそく眼科 に紹介状を書いてくれました。で、その後、いろいろな経緯があったのですが、目の位置を元に戻す手術と眼振を止める手術を受けるこ とになり、8月に斜視の再手術を受けました。入院して、手術前に白血球を増やす注射と血小板の輸血を受けました。その術前の処 置のおかげもあって手術は大成功。目の位置はちゃんと元に戻り、焦点もちゃんと合うようになりました。また、今まで片眼でしか見てい なかったので、両眼で見える世界がとにかく新鮮で、私は今見ることをとても楽しんでいます。だって、本当に世の中がきれいに見 えるのですから。眼振が減ったせいもあるかもしれません。まだ、時々歩いていて頭がくらくらすることがありますが、これはもう 慣れの問題だと思います。前の手術を受けた後のリハビリがとても大変だったので、今回も大変だろうと覚悟していたのですが、そ れもなく、やっぱり手術はやってよかったと思いました。また戻ったらどうしよう!!!

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子宮内膜症

これは直接HPSとは関係ないかもしれませんね。でも、書きます。
 私が子宮内膜症になったのは29才の時、めまいが始まってからちょうど1年後くらいです。この病気が見つかった時点で、もう4cm の卵巣嚢腫がありました。とても重症だった生理痛は、半年間のホルモン剤治療でよくなったのですが、自分では気づかなかったの ですが、卵巣嚢腫の方は悪化の一途をたどっていたようです。斜視の手術で入院していた病院で、退院前に「生理が遅れているんだ けれど、きっと長い入院生活のストレスだよね」と看護婦さん言ったひとことが主治医に伝わったらしく、婦人科に行くことに。 で、診察の結果、8cmの卵巣嚢腫が発見されました。もうびっくり。生理痛が全然ないから内膜症はもう完全に治ったと思っていた 私。「これは絶対放っておけない」ということになりました。婦人科の先生からは開腹手術を勧められたのですが、眼科の主治医が 「せっかくリハビリして歩けるようになったのに、全身麻酔かけてしばらく寝るとまたもどる」と反対意見。結局、開腹はしないで 下から針を入れて、卵巣内にたまっていた血液を抜いた訳です。卵巣嚢腫の処置の後、また生理を止める治療を受けたのですが、更 年期障害がひどく3ヶ月で中断。その後、生理が2ヶ月に一度とか3ヶ月に一度とかになり、その翌年の夏のこと、とうとう完全に ストップしてしまいました。婦人科の先生はすぐに私にエストロゲンとピルの組み合わせのホルモン補充療法をはじめてしまいまし た。そのころから急に太り始め(今考えたらむくんでいたのかも?)これも、後になって私を悩ます原因に、、、ちょうど、そのこ ろ耳鼻科の先生と話し合った末転院することになりました。そのころ、なぜか私の出血傾向はピークで、もう毎日3時間 くらい止まらない鼻血と格闘していたり、ちょっとした傷からの出血が6時間くらい止まらなくて、病院に行ったり ともう大変でした。転院した当時、私のエストロゲンの値は0に近く、転院先の病院で排卵誘発剤を大量に使って治療を試みたので すが効果はなく、結局、ホルモン補充療法を受けることになりました。今度は前の病院とは違う薬で、プレマリンとプロベラという 薬を使うことになりました。それを飲み始めるとすぐに、鼻血が出なくなりました。きっとプレマリンの作用でしょうか。それにあ んなにひどかったバランスの障害が1ヶ月ほどで治ってしまいました。もしかしたら私のめまいは更年期障害だったのかしら?なん て思ったくらいよく効きました。でも、2年くらい飲んでいるとその副作用が大変で、、、もう、一番困ったのが体重の増加、ホル モン補充療法を初めてから2年間で20kg体重が増えてしまいました。最高は93kg(私は昔から太っていた)もうそうなると体が重くて 動けない。仰向けに寝ることもできず、ひたすら苦しい。もうつらいの一言。いろいろな方法でダイエットを試みたけれど全く効果 なし。婦人科の先生に「もうプレマリンはいやだ」と泣いて嘆願をしていました。じゃあ、ということで弱い薬に変えてもらったら 食欲がなくなり、半年間くらいで元の体重に戻りました。今は、元の体重よりももうすこし減っているかも。結局私のめまいは内耳 性で、むくむとよくないということでホルモン剤は飲んでいません。が、ホルモン剤を飲まないとやっぱり出血が大変なので、止血 剤の「トランザミン」を飲んでいます。トランザミンは結構効いているようです。


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白血球減少

 私の白血球が減り始めたのは、23才くらいです。最初は貧血になると少なくなるといわれていたのですが、28才くらいから貧血じ ゃなくても少ない状態。でも3000〜4000くらいで、あまり問題にはなりませんでした。その後もだいたい2900位で安定していました。 それが、今年の初めあたりから急激に下がり始めました。去年の10月の検査で2900、今年の2月が2200、5月が1900、7月も1900、 そして9月が1800。なんだかどこまで落ちるんだか。白血球減少の原因はよくわからないみたいです。もうこれはどうしようもない ですね。自分で努力してどうこうという問題でもないので、後は主治医の先生にがんばってもらいましょう。


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HPSの患者をやって思うこと


 私は40年間、HPSの患者として生活してきました。今までを振り返ると、これは結構大変な病気で、私の「めまい」も、子宮 内膜症もそれ自体では命に関わらない病気です。私の場合は「間質性肺炎」もないですし、、、でも、これらの症状は私の生活と人 生設計上とても影響大の症状です。私が「めまい」を巡って耳鼻科の先生と大げんかしたのも、それがダイレクトに自分の生活を脅 かすものだったからです。これは、たぶん慢性疾患を抱えていらっしゃる方はわかっていただけるかもしれませんね。だからこそ、 自分が納得のいく治療を受けられる病院を探したのだろうと思います。
 よく病院のランキング本とか出ていますが、私はあれをあまり信用していません。特にHPSの場合、全身にいろいろな症状が出 るので、主科の先生とほかの科の先生がどれだけスムーズに連携をとりながら治療を進めてもらえるか、これが病院を選ぶときの1 つの重要なポイントだと思います。2つ目。何か新しい症状が出た場合、それを直ちにHPSのせいと決めつけるのではなく、ちゃ んと検査をしてくれるかどうかも大事なポイントだと思います。HPSの患者だって、他の病気になり得ます。だから原因を調べて もらってから対処療法を考えてもらった方がいいと思います。私も何度か経験しましたが、「あのときちゃんと検査をしてもらって いれば、、、」というのがあります。みなさんも気をつけましょう。
 まあ、いろいろと書いてきましたが、ぶつくさいっても病気が治るわけではなし、「くよくよしていても一生。楽しんで生きて も一生」、だったら人生楽しまなきゃというのが私の信条。これってただの「ばか」という気もするけれど、”明日起きるかもしれ ないことにおびえて生きるよりは、今日を楽しんだ方がいい”という結論に達した40才の秋でした。おしまい、、、

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